私は恥ずかしがり屋である。今、飲んでいた茶を噴いた知人たちもまぁ聞いてくれ。ホントは恥ずかしいの。思い出してみて、日本にいた頃の私を。ちょっと突っ込まれると、すぐ真っ赤になってたでしょ。
だけどこっちで恥ずかしがっていたら、スペイン人と友好な関係が築けないどころか、不気味な東洋人だと怖がられてしまう。「ひょっとしたらこのGEISHA、KARATEでSUSHIを投げてくるんじゃないか」、見知らぬスペイン人にそんな不安を抱かせないよう、笑顔と積極的に話しかける態度は必須である。なので、ボキャブラリーが少なくともできるだけ話しかける。聞き取れないけど、笑顔で「わかりません!」と元気に答える。聞き取れたつもりで、見当違いの返事をする。大笑いされる。恥ずかしくて真っ赤になるけど、それは親しみのある笑いなので一緒になって笑う。そんな草の根国際交流。
しかし、私のスペイン語下手にも、程がある。
去るクリスマス、私は近所で評判のケーキ店に出かけた。我が家で、ダンナの職場の方々を招いてささやかなパーティーをする、その準備である。ケーキ店は年一番の稼ぎ時を迎え、殺気立っていた。私はプチ・ケーキを指差して、”ocho por favor”(オーチョ、ポルファボール「8個、お願いします」)と言った。家を出る前に、ダンナから「10個とか買うなよ、そんなに食われへんから」と釘をさされていたから、きっちり8個、頼んだ。頼んだハズであった。
店員は頷くと、手にしたトレイに色とりどりのケーキを、なんとためらうことなく次々と載せはじめた。数分後、山のようにケーキが盛られたトレイを手にした店員が、「これで良い?」と聞く。私は思わず”Si”(はい)と笑顔で頷いてしまった。予定を遥かにオーバーする金額をポケットから出しながら、顔が真っ赤になるのがわかる。ずっしりと重い包みを持って店を出ると、上気した頬に雪混じりの冷たい雨が当たる。どうしよう。私は家に向かって走り出した。
家に着き、おそるおそる包みを開ける。トレイの上には、2重になってひしめき合う25個のケーキ。なんで、こんなにたくさん……。ここに至って、私は思い至った。そう、たくさん。彼女は私が言った”ocho”を、”mucho”(ムーチョ、「たくさん」)と聞き間違えたに違いないのである。思わず笑いながら、25個の罪なきケーキたちを見る。でもこんなに、どうしよ。
帰宅したダンナは、呆気に取られながらも話を聞いて笑った。怒らなかった。「そういうの、違うってなかなか言われへん時ってあるよな」とヘコんでいる私を慰めてくれた。その夜ダンナは、ケーキを10個、食べた。ええ人や。
先週のこと。そんな優しいダンナが、熱を出して倒れた。先月の私と同じ症状、どうやらインフルエンザにかかったらしい。ミスター・ビーン似の友人(スペイン人、日本語可。第6話参照)が、スペイン語の拙い私たち夫婦を心配して病院に同行してくれた。ダンナは私と同様に腰に注射を打たれ、私のように倒れこそしなかったものの、あまりの痛さにニヘラニヘラと笑っていた。ビーン氏は、「注射、嫌い」と鳥肌を立てながらも、フラフラのダンナにずっと付き添ってくれた。
彼は親切にも私たちを家まで送り届け、さらに医者からの注意を奥さんも交えながら訳してくれた。別れ際、「ありがとう、本当にありがとうね」と気持ちの昂ぶりやすい私が泣きながら礼を繰り返すのを彼は手で制し、「オブリガード」(ポルトガル語で「ありがとう」)。私は(なんでポルトガル語?)と訝りながらも、去り行く彼の車に手を振った。
翌日、ダンナの体調はなんとか復活。私はビーン氏に電話を入れ、重ねて前日の礼を述べた。彼は「いいです、いいです」と繰り返す。控えめな人だよなぁ、と思って電話を切る。そしてそんなこともすっかり忘れていた今週、まさにその「忘れる」という動詞を新たに勉強。「忘れる」はスペイン語で「olvidar」(オルビダー)。
ここでハタと気づいた。控えめなビーン氏があの日別れ際に口にした言葉、それは礼を繰り返す私への優しい心遣いの”olvidalo”(オルビダーロ、「それを忘れて」)だったのである。決して、脈略のないポルトガル語などではなかった。当たり前である。理解できなかった私は、彼が親切にも「忘れてね」と言ってくれたにもかかわらず、翌日に電話をしている。彼の気遣いは、まったく伝わっていなかったのである。キャー、イヤーッ。私は真っ赤になった顔で、辞書に突っ伏した。
外国語を使っていると、こんな間違いはゴマンとある。これからもいっぱいあるだろう。考えると、私とほぼ同じ歳で日本に来たアメリカ人の兄嫁が「お母さんにおみやげ、ハダカニンジン買いました」(博多人形の誤り)や「年金大虐殺、知ってますか」(南京の誤り)や、「(タクシーで)次の角を右に曲げてください」などと言っていたのを無邪気にケラケラ笑っていたことに、今になって罰が当たっているような気もする。
でも、一生懸命日本語で話そうとする彼女の姿はとても好意的だったし、笑うといっても馬鹿にして笑ったことは決して一度もない。きっと私の誤りもそうやって受け止めてもらえてると信じて、今日もヘッポコ草の根国際交流を続けてみるのでありやした。外国語の習得なんて、きっとハヂかいてなんぼだよね。