"亀を食べる国もあり。"

 マドリに来て早や半年が過ぎたというのに、私ときたら笑顔の鬼。というのは語学力の不足ゆえ。相手の言っていることがよくわからないものだから、常に笑顔になってしまう。これじゃいかん。そろそろスペイン人と真顔で意見を闘わせたい。ということで、4月の1ヵ月間、遂に語学学校なるものに通いけり。

マドリッドの中心部、ソル広場横にその語学学校はある。プロフェッソーラ(女性の先生)の名はイサベル、鋭角な顔を際立たせるベリーショート(角刈り)が艶やかに光る40歳、1日に1箱の愛煙家。そしてクラスに顔を出す生徒は、各々が個性的な約15人。

クラスをまとめる小柄で可愛い女の子は、地中海に浮かぶキプロス島出身のギリシャ人パナジョータ。ラメを顔いっぱいに輝かせるドイツ人クリスティーナは、遊び盛りの19歳。同じくドイツから、授業中に思い付いた面白いことを私に耳打ちしてはきゃっきゃっと笑うカタリーナ、休憩時間に一服する仲である鼻ピアスのサラ。ノルウェー出身のグロウは、背が高くて肌が抜けるように白く、そして慎み深くてまさにイメージ通りの北欧人。中国は天津から来た恋人同士の優等生は、シェンチェンチュン。同じく中国でも上海出身のスーピンは、雰囲気ががらっと変わって笑顔しか見せない。ユーゴ出身のニコラは、細い体からは想像のつかないエレキ系ギタリスト。カナダはケベック出身のミシェルは、完璧な英語とフランス語を話す。アイルランド出身のアンは、一歩教室を出るとスペイン人にで英語を教える先生。和歌山出身のジュンコータは、ふたりともワイルドなあごひげをたくわえてみせてきっとみんなの抱いていたひ弱な日本人のイメージを覆してしまったに違いない。同じく日本人の私、カナ。そして忘れちゃいけない、その強烈なキャラクターでいつも話題の中心となるカメルーン人ドゥードゥーと、酒・煙草を一切しない上に毎日のジム通いを欠かさないという抜群のプロポーションを誇るジュリアン


 クラスのレベルは初心者。だから、テキスト中の単語の意味からわからないこともしばしば。そんな時、イサベルは渾身の身振り手振りで意味を説明する。しかし生徒の質問は果てしない。だって、こんな質問にどうやって答えたら良いというのだろう。生徒が持っているボキャブラリーは、とても貧しいものだというのに。「『容疑』って、どういう意味ですか?」 「『権利』って、どういう意味ですか?」 「『』って何?」

「『』って?」 「真実じゃないこと」 「『真実』って?」

たいへんな仕事である。


 クラスは様々な文化の接点。 カタリーナが亀を6匹飼っていると言うと、ドゥードゥーが突然「亀、美味いよな。俺に2匹くれよ」と爆弾発言。教室が騒然とする。パナジョータがびっくりした顔で振り向いて「亀を食べるの? 可哀相!」と言いながら、悲しそうなクリスティーナの頭をよしよしと撫でる。口々にドゥードゥーへの質問が飛び出す中、イサベルが「他に亀を食べる国がありますか?」 大きく首を振ろうとして気がついた。日本でも食べるじゃん、スッポン。だから大きく挙手をして、「日本でも、亀を食べます」と笑顔で答える。食べるのはスッポンという特殊な種のみであるという説明はボキャブラリー不足でできなかったから、日本でも亀を食べるということだけを伝えて終了。日本のみんな、ごめん。

未来形の勉強で。「あなたの国は、50年後どうなっていると思いますか」という質問。ノルウェーのグロウは、「ノルウェーもEUに加盟している」とのこと。そっか、北欧三国ってまだ加盟してなかったんだっけ。中国のシェンチェンは、「中国はより強い国になっている」。なるほど、そういう教育を受けてきたんだろうなぁ。カメルーンのジュリアンは、「もっと病院ができて、病気で死ぬ子どもたちがいなくなっている」と胸を打つ回答。それに引き換え日本の私ったら、「うーんと、富士山が爆発してるかな」とアホみたいなことを答えてしまった。日本のみんな、ごめん。だって、日本という国に真剣に対峙したことがないんだもん。それを平和と言うべきか。


 クラスの休み時間。生徒間の会話は、ほぼ英語。さすが、イギリスが加盟していないEuroの会議でも共通の言語として英語が用いられるだけのことはある。

ラテン語圏の生徒は、訛りはあってもやはりかなり自由に英語を使いこなす。そこそこ英語に自信のあった私だが、ここでは、「カナは少し英語が喋れる」と言われる程度。いや、実際その位です。しかもスペイン語を覚えるに従い、英語が記憶の彼方へと押しやられて行くんだもの。っていうのは言い訳だけど。

何度も訊かれた質問。「あなたはスペイン語を少しの他に、何か国語を喋れるの?」 みんな最低でも、母国語と英語を喋ることができる。これにスペイン語を合わせて3つ。カメルーンやカナダのケベックなどのように、公用語としてフランス語を用いている国もある。また、ドイツ人のカタリーナなど、フランス語とスペイン語は似ているから両方を学んでいるという人もいる。ほぼ共通するボキャブラリーも多いラテン語圏内では、何か国語かを話せるのは当たり前の話。インフォメーションはどこの国でもほぼ"information"。乱暴な言い方だけど、インフォメーションと読めば英語だし、インフォルマシオンと読めばスペイン語かイタリア語かフランス語。ノルウェー語もほぼ同じでインフォマションって言ってたかな、そしてそれはドイツ語とよく似ているとのことだった。

「で、日本語ではなんて言うの?」 私は無言で手元のメモ帳に「情報」と書いた。一同絶句。中国の人たちがいたらきっとわかってくれたと思うけど、あいにくその時は不在。いやしかし、日本語とラテン語は果てしなく遠いなり。


 そんなこんなで、あっという間に1ヵ月が終了。小さな机と一体型の椅子に腰掛けて足を組んだまま授業を受けたり、先生を名前で呼んだりという些細なことにまで「まるで『ビバリーヒルズ高校白書』みたい!」とはしゃいだ甲斐あって、楽しいばかりであった。あまりに楽しかったので、自宅でもちょっと語彙力を付けてから再度通うことにしよう。スペイン語の他に、英語も思い出したりしちゃおう。そして日本のこと、もうちょっと勉強しよっかな。

それにしても私ったら日本型管理教育の癖が抜けず、クラスで一人だけ発言の際には必ず挙手をし、イサベルにあてられる(名前を呼ばれる)まで待つというおそらく珍奇な行為を繰り返してしまった。日本のみんな、ごめん。でも、仕方ないよね? それが私が肌で吸収してきた日本の文化なんだもの。



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