ちょっとあーた、大変ですばい! とばってん荒川ばりに慌てたとですばい。というのは、スペイン語が全然わからんとですばい。
カナリアス諸島では「あーら私、結構スペイン語喋れるじゃーん」といい気になっていたのだが、所詮、旅行先で交わす会話などパターンが決まっている。「どこから来た?」「マドリにどのくらい住んでいるんだ?」「スペインは好きか?」、毎日同じような質問に答えていれば、スラスラとつつがなく淀みなくスペイン語も出てくるってもんだ。
ところがマドリに帰ってきた翌日、近所のスーパーで友達のアルヘリーネスちゃんに会ったところ。「どうだった、バカシオネスは?」「まぁ良かったよ。なんたって、マドリと違って海があるからね。そっちは?」「それがね、聞いてよ」 以下、さっそく全然わからんとよ。
というわけで、4ヶ月ぶりに語学学校へ行くことに決定。今回も、1ヵ月だけのコース。前回(第26話参照)と違うのは、レベルが1から2に上がったこと。といっても、全部で5段階あるうちの、だけどね。
今回のクラスメートは、12人。特に仲良しなのは、ユーゴスラビアから来たラナとネナ。カナと3人合わせると、レッツゴー3匹よりも語呂が良いかんじ。
ネナは21歳、とても健康的で、素直で明るい良い子。ラナはネナと同い年の息子がいるのだが、とても知的で開放的で、優しい心遣いを忘れない。3人でインターネットカフェに行ったりお茶を飲んだり観光したりしながら、家族や仕事、女性や国、いろんなことを喋る。
先日、ショッピング中のこと。会計に向かったネナを見遣りながらマネキンが着ている薄手のTシャツを触っていたラナが、突然顔をしかめた。「私、こういう生地、大っ嫌い」 「なんで?」 「小さい頃のこと、思い出すから。社会主義政権の頃、チトー、知ってる? あの頃、確かにみんな平等だった。でも、みんなが同じようにとても貧しかったの。こんな薄い生地の服しかなかったわ。だから、今でも嫌い。思い出したくないもの。社会主義は、好きじゃなかった。好きじゃないわ」
ネナはニコニコ顔で、新しい服が入った紙袋を提げて戻ってくる。それを見ながらラナが、「ネナは若いから、私とはだいぶ時代が違うよ。ほら、可愛いでしょう。だから大好きなの」と優しい目をする。なんか、ぐっときた。そして私は、頷くだけ。話す言葉がないのだな。
語学学校のある Calle Carmenは、つい先月、私がカナリアス諸島で夢を見ている間に、ETA(バスク祖国と自由)による爆弾テロがあった通りである。当然、授業でも話題になる。
「ETAのこと、どう思う? 何が問題だと思う? どうすれば解決すると思う? 君たちの国にも、同じような問題はあるか? ダミアン、ルーシー、うん、イギリスはアイルランドと同じような問題を抱えているね。えっ、ナターシャ、そうかロシアも同じような問題を抱えているのか。原因は何だ? 宗教か? ピエトロ、神父である君の意見を聞かせてくれ。それにラナ、ネナ、君たちはユーゴスラビアの出身だったね。そう、ふたりともセルビアなんだ。どう思う? 民族って、宗教って、どうあるべきなんだろうね。せっかくここには世界中のいろんな国の人が集まって来ているんだから、みんなの意見を聞かせてくれ」
俯いてしまった。ここでもやはり、話す言葉がない。実感が湧かないから、確固たる意見を持っていない。社説のような通り一遍のことは喋れても。でもそんなものの中に、「世界中の人がマスコミに煽られて、セルビアを悪者にしている。本当の姿は、何も知らないのに。確かに悪いところもあるけど、良いところもあるのよ。だから私は、マスコミの言葉だけを信じる人には、セルビアのこと、絶対何にも喋らないって決めてるの」というラナに伝えるべき言葉があるとは思えない。
言葉は、手段だよなぁ。最低限の技術は必要だけど、やっぱり伝えるべきソフトの方が大事なんだよなぁ。なんてこと、今更思ったりして
「他には? 誰か意見はない?」 思い切って、手を挙げる。「エド(先生の名前)、日本にも近年テロがあったし民族問題もあるんだけど、他の国よりは平和だと思う。だから私はそれについてみんなみたいな意見は言えないんだけど。でも、私は長崎っていう町の出身で、そこは戦争の時に原爆が落とされたのね。あっ、知ってるの? そう、その「ヒロシマ、ナガサキ」の長崎。だから平和、とか戦争、とか言葉の正確な意味はよくわかんないんだけど、死ぬのはいつも隣人で、今でも、それで傷ついた人の子どもも、そのまた子どもも苦しんでいて、結局、そういうことかなと感じているの。偉い人が何を言っても、死ぬのは私たち。だから、偉い人とかマスコミとかを信じないで、自分で考えるのが大事だと思う」
もう、動詞の活用メチャクチャ、時制バラバラ、直説法も接続法もありゃしない。でもスペイン語を介して、ここにいるイギリス、ロシア、ユーゴスラビア、モルダビア、ポルトガル、ブラジル、アンゴラ、中国、韓国、シンガポールの出身のクラスメートになんかちょっとでも伝わってたら、めちゃめちゃ嬉しいなぁ。それにしても、もっとスペイン語頑張らな。ただ今、劣等生。
授業後、前の席のラナが振り向いた。いつも以上の笑顔で、「カナには、私のセルビアのこと、知ってもらいたいな」 だって。嬉しかったなぁ。もっとスペイン語頑張って、早くちゃんと「Lana」って言えるようになるね。だって今の私の発音じゃ、毎日「Rana!」(カエルちゃん!)って呼んでるようなもんだからね。