体重は100キロを優に超す巨体。つぶらな大きい瞳に、可愛い小さな口。だいぶ髪は薄いけど、私よりちょっとだけ若い26歳。名前はフェリペ、とある典型的なバルのオーナー。
初めて会う前から、彼は優しかった。「これ、カナに」と、ダンナを通じて、夏祭りの射的で獲ったというぬいぐるみをくれた。インチキくさいプーさん。プーさんに、ヒゲってあったっけ? それに、頭のてっぺんに止まってるハチの顔、もろ手書きなんすけど。きっと1個5ペセタくらいの内職なんだろうなぁ。そんなこんなも含めて、すべてが愛らしい。だから、その日からずっと一緒に寝ている。
私はバルに行くたび、メチャクチャなスペイン語にもかかわらず、ハチャメチャなサンバ風アップテンポで話しかける。そんな私にフェリペは、インチキプーさんより愛らしいその顔と身体をカウンターから乗り出して、一生懸命、相手をしてくれる。私がわからない言葉は、紙に書いてくれたりする。私がわからないフレーズは、豊かな表情や動作で説明してくれる。それでもなおわからなくても、親しげな笑みを満面に浮かべて、笑っていてくれる。<
ダンナも私も、フェリペのことが大好きだ。
8月、近郊の町の、夏祭り。町の中を闘牛が駆け抜ける − なんて、まるでサン・フェルミンの『牛追い祭り』のような光景も見られるらしい。私たちは、最終日の夜に出かけた。他の町より規模が大きいという、移動遊園地と露店が目的なのだ。
3D仕掛けのアトラクションから出て来たフェリペたちと合流した。露店ゲームが好きなフェリペは、息つぐ暇もなく、ダーツをしている。赤外線ビーム発光装置付きキーホルダー(?)を獲り、その場ですぐ組み立ててテスト。どうも赤外線ビームが出ない。そこでどうするか。「所詮、露店のってこんなもんだよな」と諦めたりはしない。テキ屋のおいやんに「これ、壊れてるよ!」と言い、「そんなわけないさぁ」とグズるおいやんをなだめすかして別のキーホルダーに交換してもらい、今度はちゃんとビームが出るのを確認して、彼女と一緒に大喜び。最後はおいやんに、あのプーさんより愛らしい笑顔を見せて立ち去る。我らがフェリペの勝利!
この日の一行は、フェリペと彼女、私とダンナ、さらにプラス5人の計9人。みんなで犬のウンチを避けながら地面に座ってボカティージョを食べたり、射的をしたり。この日はフェリペ、珍しく射的の調子が悪かったようで、彼女の腕に大きな大きなぬいぐるみが抱かれることはなかったけど。
移動遊園地には、観覧車もジェットコースターも、子ども用のカートも、回転木馬ならぬ「回転生ロバ」などもある(第4話参照)。さらにこの町に来る移動遊園地には、ロデオもある。カウボーイ気分で、暴れ馬に見立てた機械にまたがるアトラクションだ。
ここの暴れ馬ロボは、ぎゅうぎゅうに詰めると、大人が6人縦に並んで座れる長さがある。先頭の人は馬の首を模した部分を、あとの人は前の人の腰に手を回して、しっかり抱きしめる。ランバダ、あるいは「レッツ、キック、頬寄せて〜」状態。そして股にギュウと力を入れて、前後左右に上下、はたまた大回転と大暴れするロボから振り落とされないように頑張る。その様子を、ステージ下から見守っている観客がヤンヤヤンヤと楽しむ、なんともアホなアトラクション。
ダンナは何度も私に、「去年はなぁ、俺の上に、フェリペが落ちてきてんよ。あの体重やで。ほんまに、目の前、真っ暗になったわ」と楽しそうに言っていた。なんか、すごくしんどいけど楽しいらしい。私はロデオ未経験。ダンナと私、少し理由は違うけど、でも夏祭りといえばロデオ、ふたりともそう思い込んでいる。
ロデオには、9人の中から、6人が挑戦することになった。待機組にサングラスや眼鏡を預けて、いざ、ロデらむ! 激しい場所争いの結果、私は前から3番目に。私の前は、いかーん、フェリペだ!
フェリペの大きなお腹の、なんとか途中まで手を回す。「フェリペ、私の上に落ちないでね。私を殺しちゃイヤよ」と説得しているうちに、ロデりはじめる。最初はゆっくりと、次第に激しく。やがて私の腰に手を回していたダンナが「アギャーン」と叫びながら落下、つられて私も落下。ステージ自体もロボに負けじと激しく動いているので、すぐに立ち上がることができない。頭上の眼鏡を捜すヤッさんのような動作でアタフタしていると、上からドスンとフェリペが落ちてきた。
「ムプガ」 変な音を吐き出したところで、目の前が真っ暗になる。あぁ、これね。これがダンナの言ってた、ロデオね。……楽しいっ! 見上げると、顔を紅潮させたフェリペが、さすがのロボも押え込まれるんじゃないかというほどの勢いで、再びまたがろうとしている。負けじと続いてみたが、ポイーンと簡単に放り出されてしまった。
ステージ最後方の柵につかまり、PRIDEなら反則負けになるくらいロープに腕を巻いて、なんとか立ち上がる。見れば、いつの間にか先頭に座って馬の首にしがみついてるのは、ダンナ。あの切れ長の優しい目が、普段は見せたこともない悪い色を湛えて、ランランと光っている。あぁ、あの人の暴走を止めなければ。不安定な足場もものかは、愛するダンナのもとに必死で駆け寄ろうとする、いたいけな私。その足元に、横倒しになったビア樽のようなフェリペが、真っ赤な顔でニキニキ笑いながら、勢い良く転がってきた。あっさり巻き込まれ、みたび転倒。ここで、ロデオ終了を告げるスモークが噴き出した。
ヨロヨロしながらステージから降りると、待っていたのは船酔いならぬ「ロデオ酔い」。溢れんばかりの乳と腹を出してたむろする十代前半の女の子たちに混じり、地面にペタリと座り込む。すっかりいつもの優しい顔に戻ったダンナが、ビールを差し出す。「な、おもろいやろ?」 気のせいか、目がキラリと光ったようだ。
ロデオ、おもしろい。フェリペと一緒だと、もっとおもしろい。
先週末から、今度は我が家の近くで祭りが始まった。もちろん、移動遊園地もやってきた。日曜日の午後、ダンナといそいそと出かける準備をしていると、電話が鳴った。
信じられないくらい、現実って残酷だ。それは、フェリペが昨夜、急に亡くなったという知らせだった。いつものメンバーが集まった週末のバルで、急に倒れて、そのまま息を引き取ったという。今、遺体は友人と彼女の手によって、マドリから遠く離れた親元のビゴへ向かっているということだった。
スペインにいる間、ずっと仲良しだと思ってた。まだ、7月のバカシオネスのお土産も渡していない。スペイン語が下手で、伝えられなかったこともいっぱいある。いや、そんなことはどうでもいい。あのフェリペが、いなくなるなんて。
『善い人ほど、神様が愛するから、早く天に召される』、そんな意味の言葉を聞いたことがある。納得できるわけじゃないけど、そう思わないといけないのかな。ひどい、不公平だ、こんな言葉が理不尽なのは、わかってる。でも、やっぱり、ひどいよ
とにかく、フェリペ、ありがとう。本当にありがとう。楽しかったよ、私もダンナも。
ロデオ見るたび、フェリペのこと、思い出すんだろうな。
信じられないほど残酷な出来事が、信じたくないほど続けて起こる。
今朝、長崎時代の友人が、不慮の事故により亡くなったという知らせが入った。スペインに来る直前、よく一緒に、千々石の海を見に行った。関西弁で、ひょうひょうとしていて、はにかみ屋。 「30才っていうたら、もうおっさんやん。ちゃーんと、姿勢正して生きなあかんねぇ」なんて、笑ってたのに。
どうなってんだ、神様。 たのむよ。