ブイトラゴ・デ・ロソジャ
/ BUITRAGO DE LOZOYA

紀行文 『知られざるピカソの友情美術館』


ピカソ美術館の入り口

【歴史】

 人口1.500のこの小さな村は、カスティージャ地方の典型的な歴史を持つ。


 最初にこの地に住み着いたのはケルト族であり、後にローマ帝国版図内に入ったらしい。後にイスラム教徒の支配下にあったのをキリスト教徒がレコンキスタで奪い、再奪回を恐れて砦を築いた。14世紀にはゴシック様式とムデハル様式(キリスト教支配下のイスラム教徒)が混在する城が、15世紀にはほぼ同じ様式の教会が作られた。また1492年にカトリック両王から追放令が出されるまで、ユダヤ人コミュニティもあったという。

 ナポレオンの侵略に対してスペイン市民がゲリラ戦で抵抗したスペイン独立戦争では、フランス軍が、撤退に際して、(あちこちでそうしたように)町に火を放ち、建物の大部分を破壊した。実はフランス軍は、自軍の撤退後にスペイン軍の拠点として用いられないよう、あのイスラム建築の最高傑作であるアルハンブラ宮殿も爆破しようとしたといい、これはある心ある兵士が導火線を切断したために難を逃れたと伝えられている。危機一髪。

 20世紀のスペイン内戦では前線のひとつとされ、激しい戦闘が行われた。異民族による度重なる支配を受け、しばし共存の後にキリスト勢力が他を駆逐し、ナポレオン軍に蹂躙され、スペイン内戦で疲弊する。これが、この地方の町の典型的な歴史である。




【観光】

 小さな村だが、川に面する城壁や町並みに情緒があり、マドリード市内からの日帰り観光客も少なくない。また役場の美術館も、知るひとぞ知る存在。

 などあらかたの建造物は、この村を襲った戦争により破壊されているが、サンタ・マリア・デル・カスティージョ教会の外壁だけは辛うじて当時の面影を残している。内部は、真新しいステンドグラスを見てもわかるように、つい近年になって再建されたもの。

 役場の地下に、入場無料の小さなピカソ美術館がある。これはこの村出身のエウヘニオ・アリアスという理容師の寄贈によるもの。彼はスペイン内戦のあおりで国外追放となり、フランスへ渡った後、第二次世界大戦中は対独ゲリラとして活動し、やがて南部のコート・ダジュールに落ち着いた。ここでピカソと知り合い、友情を築いたのだという。ここにはピカソ作の焼きものや、木箱のフタに焼き画を施した散発セットなど、派手さはないが、温かい雰囲気が漂う作品が展示されている。





【名物料理】

 山中なので、仔羊など、素朴な肉料理がおすすめ。


 町で唯一のメイン・ストリートの両側には、Asador「アサドール」(直火焼きレストラン)が軒を連ねている。Al Horno「アル・オルノ」と書いてあれば、かまどまたはオーブンで焼いたということ。

 このあたりならまずおすすめしたいのが、Cordero Asado「コルデロ・アサード」(仔羊の直火焼き)。そしてEmbutido「エンブティド」(腸詰類)も自家製のものを出すところが多く、田舎風のものが食べられる。そのうち、スパイシーソーセージとインゲン豆を炒めたJudia con Chorizo(フディア・コン・チョリソ)も、ポピュラーな一品。



コルデロ・アサード

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