紀行文 『アンダルシアのニッポンさん』
【歴史】
起源をたどれば紀元前9世紀に遡るという。しかし私たちにとってこの町が大きな意味を持つようになるのは、1614年、ある人物がこの地を訪れてからである。
コリア・デル・リオは、古く紀元前9世紀の青銅器時代に栄えた町に起源を持つ。それから地中海沿岸の町によく見られるように、フェニキア人がやってきて、その後、ローマの支配下に入って……という歴史を経てきた、らしい。
この小さな町の名前は、たぶんスペイン人でも知らないひとがほとんどだろう。もちろん日本で発売されているガイドブックにも、ついでに手元にあるスペイン版のガイドブックにも載っていない。だけど、私たち日本人はぜひ知っておきたい町だ。なぜならここには、日本にゆかりのあるひとが住んでいるから。
1613年、ところは変わって仙台藩、石巻の港。藩主・伊達政宗の命により、特命全権大使の支倉常長率いる慶長遣欧使節団が乗り込んだ船は、大海原に漕ぎ出した。一行はまずメキシコのアカプルコに立ち寄ると、ついに翌年10月、ヨーロッパに到着する。大西洋を渡ってきた船は、イベリア半島に深く切れ込むグアダルキビル川を遡る。いよいよ、新大陸貿易の拠点として栄えに栄えていたセビージャを目前とすること12km地点で、一行は船を降りた。ここから陸路でセビージャに入るというのが、当時の習慣だったらしい。このヨーロッパ初の上陸地点こそが、コリア・デル・リオの町なのだ。
それだけなら、さほど珍しい話ではないかもしれない。一行はやがてセビージャを経由し、スペイン国王、やがては最終的な目標でもあったローマ法王への謁見も済ませて帰国する。ところが、一行の何人かは、日本に帰らずに「どこかに」留まったという記録が残っている、らしい。そしてもうひとつの事実。このコリア・デル・リオの町には現在300人以上(隣町もあわせると約600人)も、JAPON「ハポン」(スペイン語で日本、の意味)という名字を持つ人々が暮らしているのだ。
約400年前にいったいなにがあったかはわからない。だけどJAPON姓のひとたちがいまもいて、そして自分たちのことを「俺たちはサムライの子孫だ」と、とても誇りに思ってくれている。それだけで充分に、なんだか、胸が熱くなってくる。
【観光】
観光名所らしい観光名所は、ない。ただ川がゆったりと流れ、魚介類が美味しく、そして日本人に対してとても好い感情を持ってくれている町。もし滞在日数に余裕があるなら、セビージャから日帰りで訪れても悪くないのでは。
そういえば町にひとつだけ名所らしきものがあった。川沿いの公園の真ん中にそれはあるのだが、きっと町のどこかでぼーっと立っていれば、日本人好きの町のひとたちが黙っていても連れて行ってくれるだろう。それは、支倉常長の銅像。強すぎる陽射しを浴びて、じっと輝く川面を見つめている。「支倉常長」と漢字で記されているのも、なんとなく胸を打つ。400年前、こんな異国にねぇ。
【名物料理】
アンダルシアということで魚介類が美味しい。とくに、もともと町を流れるグアダルキビル川で獲れていたという魚とその卵が名物。
バルに入ると、どこも手書きのメニューのいちばん上からいくつかがHuevas「ウエバス」(魚卵料理)なので驚いた。とくに多いのが、Saboga「サボガ」という魚で、ニシン科の魚だそう。町を案内してくれた役場のナイスガイの説明では、昔はこの川でたくさん獲れていたからすっかり食べる習慣がついたんだけど、最近はあまり獲れなくなって、それでポルトガルとかから輸入してまで食べ続けている、ということだった。
また、Cigala「シガラ」(手長エビ)など、バルによっては1匹単位で茹でて食べさせてくれたりした。私は暑かったんでビールをお代わりしながらウエバスとシガラをつまみ、まだお腹が減っていたのでそのサボガという魚の筒切りのソテーを食べたのだが、値段はわからない。なぜならそのバルにたまたま居合わせたハポンさん(ナイスなおじさん)のグループが奢ってくれたからだ。ついでになんか強い酒もご馳走され、酔ったついでに怪しげなセビジャーナス(フラメンコの一種で、盆踊りのようなもの)まで踊ってきてしまった。ちなみにスペインで蒙古斑の話で盛り上がれたのは、実に貴重な体験だった。
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ウエバス・デ・サボガのマリネ風