ゲルニカ
GUERINICA / GERNIKA-LUMO

紀行文 『ゲルニカという町の意味』
『ピカソさん、戦争です』


議事堂の天井は巨大なステンドグラス



【歴史】

 豊かな土地であり、旧石器時代の洞窟画が残る。小さな町だが地方自治上で重要な意味を持ち、それゆえ、世界中に知られる惨劇がここで起こった。現在、世界中に、平和を訴え続けている。


 人類初の絵画として有名なアルタミラと同じ時代の洞窟画が近郊に残されているほど、歴史は古い。海に近く、川が流れ、緑に恵まれた穏やかな気候ゆえ、早くから人類が住み着いたものと思われる。

 1366年、カスティージャ王ペドロ1世の義弟であり、後に王位に就いたトラスタマラ家のエンリケ2世の実弟であるテジョによって町が作られる。この3人は、漫画『アルカサル-王城-』(青池保子)の登場人物。ただ現地で実際に訊いてまわったところ、「中央からやってきて勝手にここを町にした」テジョに対する関心は、非常に低かった。

 実はこの14世紀の時点で、すでにこのビスカヤ県には22の教会と22の村があったと言われる。自然発生的にできたこれらの村には、それぞれ樫の大樹の下に長老が集まって会議を開くという慣習があったのだが、やがてその場所が統一されたのが、ここゲルニカの樹だったらしい。これが、現在もなおビスカヤの議会がゲルニカの議事堂で行われる理由である。それゆえゲルニカの樹は、バスク地方の人々にとって自治の象徴という意味を持つという。


 ゲルニカの町の名前が世界中に知られることになったのは、1937年4月26日のこと。いや、あるいは同年6月のことかもしれない。

 スペインは1931年より第二共和制となっていた。36年の総選挙でも共和国派(人民戦線)が辛うじて勝利するのだが、これに対して教会、地主などの支持を受けた軍がクーデターを起こし、やがてフランコを「頭領」に抱く(国民戦線)。ここからスペインは、実に3年に及ぶ内戦に突入する。

 人民戦線側には成立したばかりのソビエトや、イギリスやアメリカからの国際義勇兵が参加。一方で国民戦線側にはヒトラー率いるナチス・ドイツやムッソリーニ率いるイタリアが協力した。後になって「スペイン内戦は第二次世界大戦の前哨戦だった」と言われるゆえんだが、その象徴ともいえるのが、フランコに協力するヒトラーのドイツ空軍によるゲルニカ爆撃であった。

 1937年4月26日、人口6.000の小さな町ゲルニカの上空に姿を現したドイツ空軍コンドル部隊は、整然と編隊を組み、4時間にわたって無抵抗のゲルニカの町を爆撃し続けた。この人類史上初の無差別な空爆によって、町の人口の1/3にあたる2000人が死亡、町は何日も燃え続けた。この空爆は、ナチス・ドイツにとって、来るべき世界大戦に備えた演習という意味合いが強かったと言われている。また、ターゲットがゲルニカとされた理由については、民族意識が高く人民戦線側に立つことが多かったバスクの人々にとっての自治の象徴であるというのが、第一に挙げられている。戦後独裁制を敷いたフランコは、バスクの自治権を廃止、バスク語も禁止し(バスク語の名前の強制改名も含む)、徹底的な中央集権化を進めた。

 ゲルニカが爆撃されているとき、20世紀を代表するスペイン人画家ピカソは、パリにいた。スペイン共和国政府の依頼で、パリ万国博覧会のスペイン館に壁画を描くことを依頼されていたのだった。惨劇を聞いたピカソは、約1ヶ月で、大作『ゲルニカ』を描き上げた。この絵は後に世界中に貸し出され、現在はマドリードの美術館で、見るものに戦争の悲劇を訴え続けている。





【観光】

 自治の象徴と平和の象徴としてのモニュメント、さらには郊外の1万5千年前の洞窟画が見どころ。

 現在も議会が行われている議事堂は、樫の樹の下に長老が集まる光景を描いた天井のステンドグラスが見事。同じ敷地内にゲルニカの樹がある。何世代も接木をしているとかで、現在のものは1860年に植え替えられたもの。それより古い、およそ300年前の樹は、やや離れた場所で石柱に守られている。なお希望者があれば、別室で町の歴史を紹介するビデオを放映してくれる。

 ピカソの『ゲルニカ』は現在マドリードのソフィア王妃芸術センターで展示されているが、町には複製のタイル画がある。また役所前の広場には平和博物館があり、ゲルニカの惨劇に留まらず、広く平和に関する資料を現代的な感覚で展示している。

 また、郊外のサンティマミニェ洞窟では、1万5千年前の洞窟画を見ることができる。

 ちなみに、ゲルニカはビルバオから約33kmの場所にあり、バスや電車で約45分。近隣は山や川、少し行くと入り江があり、夏には自然を楽しむ市民の姿が多く見られる。





【名物料理】

 フランス料理の影響が強いバスク料理は、スペインの最高峰。


 バスク料理といえば、マドリードではたいてい高級レストランとなる。地元のバスク料理として実際に初めて食べたのはゲルニカだったのだが、なんの変哲もないスープからなにまで、とにかく美味しくて驚いた。「塩をふって焼きました」あるいは「じっくり煮ました」という素朴な料理が多いカスティージャ料理(スペイン中央部)に比べて、多彩なソースがいちばんの相違点か。

 とくに有名なのは、Bacalao「バカラオ」料理。直訳すると「タラ」だが、塩漬けのタラを戻したものが多く、24時間かけて上手に塩抜きすると生のタラよりよほど美味いのだが、ここの塩加減というか戻し加減が本当に難しい。この塩タラはスペイン各地で食べるものの、バスク地方では一味もふた味も違ってくる。

 もっとも有名な料理法は、フライパンで調理するときの音から名づけられたというBacalao al Pil-Pil「バカラオ・アル・ピル・ピル」。ニンニクと唐辛子で香りをつけたオリーブオイルと、タラの身から流れ出したゼラチン質が混じり合って滑らかな白色のソースを作るというもので、そのシンプルかつ極上の調理法は、まさにバスク料理の代名詞。


 地元のワインは、そんなタラ料理に良く合うフレッシュなChacoli de Vizcaya/Bizkaiako Txacolina「チャコリ・デ・ビスカヤ」と、Chacoli de Guetaria/Getariako Txakolina「チャコリ・デ・ゲタリア」がある。赤ならわりと近くのRioja「リオハ」がスペインを代表する産地だが、とくにRioja Alavesa「リオハ・アラベサ」がバスク州内アラバ県になるのでもっとも近い。

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