紀行文 『つわものどもが、ゆめのあと』
【歴史】
ローマの都市として非常に栄えた町。その後すっかり忘れ去られ、遺跡の上に町が作られたりして、現在に至る。
イタリカは紀元前206年に建設された。町の名前の起源としては、イタリアからの入植者によって町が築かれたので祖国と良く似た名前になった、という説がある。ローマ帝国のイスパニア辺境地のうち最も古い都市のひとつであり、2〜3世紀には、文化上、軍事上で重要な地位を占めるようになった。
イタリカが栄えるきっかけとなったのは、ここで生まれたトラヤヌスが98年にローマ帝国皇帝になったことである。トラヤヌス帝は、ローマ帝国に平和、すなわちパックス・ロマーナをもたらしたいわゆる「五賢帝」の2人目。彼の養子となって皇帝の座を受け継いだハドリアヌス帝もまた、ここイタリカの生まれ。もちろん五賢帝の3人目となった。
その後の様々な民族の侵略によって町は破壊しつくされた。そのうち輝かしいローマ時代の歴史はすっかり忘れ去られたのか、17世紀、当時の遺跡の上に、サンティ・ポンセという町までできてしまった。ようやく18世紀後半になって遺跡の発掘がはじまり、現在に至っている。
【観光】
ローマ時代の遺跡は、いくつかの例外を除いてほぼ失われており、土台だけが残っている。それでもアンダルシアの強い光を受けて白々と輝く廃墟を見るのは、そういうのが好きなひとには悪くないだろう。セビージャからの距離はたった9km。
当時には5本あったという舗装道路や、下水設備、さらには大理石の神殿や浴場などは、残っていても土台くらいなので、地面に直に描かれた間取り図を見ているような気分になるかもしれない。それでも床に刻まれたモザイク画など、充分に興味深いが。
幸いなことに、円形闘技場はかなり良好な状態で残っており、当時25.000人を収容したというその姿をありありと思い浮かべることができる。なお、発掘されたもののうち価値のあるものの多くは、セビージャの考古学博物館に展示されている。。
【名物料理】
おそらくセビージャで食べることになるでしょう。ここは遺跡の町。
詳しくはセビージャのページを見ていただきたいが、あまり賛同が得られないかもしれない個人的な感想をひとつ。セビージャのイタリアンは、かなりレベルが高い。もちろんスペインにしては、ということだが。なぜだか近所の国だというのにスペインでは往々にして麺は給食のソフト麺状態になっているし、ピザもやたら塩辛かったりして、うまくて手頃な値段のイタリアンの店を探すというのは、マドリード生活でのわりと悲願になっているのだ。なのでなおさら、セビージャのイタリアンが美味しかったのが、やたら印象に残っている。ピザ生地を極薄にのばしているおじさんもいいかんじに太っていて、見るからに美味しそうな店ではあったが。ローマ遺跡見学のついでにイタリアン、というのも、いいかもしれない。