【歴史】
かつてフェニキア人によって作られた町は、いまや人口約55万の大都会であり、ヨーロッパ屈指のリゾート地コスタ・デル・ソルの中心となっている。
フェニキア人により「マラカ」として名づけられた町は、カルタゴ人の時期を経て、ローマ帝国勢力下に入る。5世紀にはベルベル人が、6世紀にはビサンティン帝国が、11世紀にはイスラム教徒の支配下に。しかし、1492年にイベリア半島最後のイスラム王国であったグラナダが陥落する前の1487年に、スペイン統一に邁進したカトリック両王の手によりキリスト教国に併合された。
16世紀は商工業で栄えた時期であり、スペイン最大の版図を描いた神聖ローマ帝国皇帝カルロス5世の命により大砲の製造工場が建設された。また港は、カスティージャ地方名産の羊毛の重要な積出港であった。19世紀半ばには製鉄の中心地としても栄えるが、スペイン北部のアストゥリアスとビスカヤの勃興の影響を受けて停滞し、町から活気が失われる
しかし、マラガには変わらず海と降り注ぐ太陽があった。1960年代に始まるスペイン政府の観光政策により、地中海に面するコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の中心地であるマラガはいち早く開発が進み、現在マラガの空港には世界中から直行便で観光客が訪れるスペインでも有数の大都市になった。
ちなみにマラガは、ハリウッド俳優アントニオ・バンデラスの出身地。現在はマラガの名誉市民であり、夫人のメラニー・グリフィスとともに仲良く祭りを見物したりする様子がよくワイドショーで放映される。メラニーも、スーパー・アメリカン・アクセントながら、だいぶスペイン語を話すようになった。
【観光】
丘の上からはマラガ市内はもちろん、太陽溢れるコスタ・デル・ソルを遠望することができる。また20世紀最大の画家といわれるピカソの生誕地でもある。
丘の上には、11世紀にイスラム教徒が築いたアルカサバ(城塞)がある。隣はローマ劇場跡。その奥は14世紀のヒブラルファロ城があり、現在は一部がパラドールになっている。ここからの眺めは絶景。港の横に闘牛場と高層ビルが隣り合うマラガ市内、延々と続くビーチ、遠くにそびえるアンダルシアらしい無骨な岩山、青く輝く地中海など、印象的な光景が広がる。
闘牛場、16世紀のカテドラルはともに見学可能。また美術館は、ムリーリョやスルバラン、それにピカソの幼少期の作品を収蔵している。ピカソの生家は現在ピカソ財団となっており、ここにも若干の作品がある。そして2003年10月、待望のピカソ美術館がオープンした。ここでは親族からの寄贈による作品が時代別に展示されてあり、ピカソという画家の全体像を知ることができる。。
【名物料理】
海に面したマラガの新鮮な魚介類は、揚げても焼いても美味い。食後には、地元名産の甘口ワインを。
アンダルシア地方の代表的な料理であるFritura de Pescado「フリトゥラ・デ・ペスカド」またはPescaito Frito「ペスカイート・フリート」は、イカ、エビ、小魚などのミックスフライ。レモンをまわしかけて食べるのだが、かなりの量があるので、人数よりも少なめの分量を頼むのがポイント。
またマラガのビーチでは、Saldina「サルディナ」(イワシ)やDorada「ドラダ」(タイの一種)を串刺しにして炭火で焼いて食べさせる屋台が出ていることもある。風情があるばかりか、日本の焼き魚が好きなひとにはたまらない美味しさ。とある知人は、醤油の小分けパック持参で行っていた。そしてそれはたぶん正しい。
マラガには、原産地呼称制度認定D.O.Malaga「マラガ」やD.O.Sierras de Malaga「シエラス・デ・マラガ」があるが、なんといっても有名なのは甘口の食後酒マラガ・ワイン。とくにMoscatel「モスカテル」は、マスカットの干しブドウから作ったもので、しっかりとした甘さがありながら爽やかな風味。そのままでも、またバニラ・アイスにかけたりしても良く合う。