紀行文 『世界遺産で迷子にならない』
【歴史】
6世紀に西ゴート王国の首都となるも、8世紀にはイスラム教徒の支配下に置かれる。11世紀、イスラムの勢力から脱して建設されたカスティージャ王国の首都となる。以後500年間、マドリードに首都が移るまで、中世スペインの中心地として栄えた古都。
町はまず、ローマの植民地都市として建設された。小高い丘の三方をタホ川がぐるりと囲むトレドは、城塞都市としてうってつけの地形だったのだ。ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン民族大移動のあおりをうけ、6世紀、ここにゲルマン系の西ゴート族がはるばるやってきて西ゴート王国を建設。トレドを首都とする。ちなみに彼らはもともとアリウス派キリスト教だったのだが、後に支配民族であるイスパノ=ロマーノとの融合を図ってカトリックとなった。
8世紀にイスラム勢力がここを占領。11世紀にはレコンキスタの結果、キリスト教国カスティージャ王国(カステラの語源)の支配下に入る。イスラム世界とヨーロッパ世界の接点における首都であるトレドは、ここから、中世ヨーロッパ文化の中心都市として大いに栄えることとなった。当時はアラビア・ヘブライ文化の方がキリスト教文化よりもだいぶ進んでいたのだが、トレドはその先端文明をヨーロッパに紹介する窓口となったのだ。
たとえばギリシャ時代の天文・数学・哲学者であるアリストテレス。ギリシャ語で書かれた彼の著作は、ヨーロッパ世界では実はローマ時代以降、ほとんどすっかり忘れられていた。作品群は、イスラム勢力下に伝えられ、まずエジプトはアレキサンドリアのムーセイオン(学問的研究をすすめる研究機関)でアラビア語に翻訳された。そのアラビア語訳されたものが、北アフリカを西へ進み、ジブラルタル海峡を渡って、同じくイスラム教徒の勢力下にあったトレドに持ち込まれる。そして、この町にアルフォンソ10世「賢王」が作ったトレド翻訳学校でさらにラテン語に翻訳されたのだ。トレドにおけるラテン語訳バージョンは、パリをはじめとして、各地に伝えられる。ヨーロッパにおけるこのアリストテレスの「再発見」が、トマス・アクィナスに代表されるスコラ哲学の基礎となり、ヨーロッパ中世キリスト教神学の屋台骨となったのである。
アリストテレスばかりではなく、ギリシャがイスラム勢力の支配下に入ったため、多くのギリシャ時代の哲学の研究がまずイスラム社会で行われた。というわけでこれらの最先端の学問を学ぶため、トレドには全ヨーロッパから知識人がわんさか集まっていたという。
そんな文化都市トレドでは、イスラム教徒とユダヤ教徒とキリスト教徒がだいたい共存してきたというのが最大の特徴。これらの文化が重なり合うことによって、魅力的なトレドの街が形成されたのだ。
【観光】
イスラム教徒とユダヤ教徒とキリスト教徒のそれぞれの、あるいはそれらが共存した歴史が、そこらへんの建物のひとつひとつに見られる。また、16世紀の画家エル・グレコが描いたほぼそのままの姿の町が現在もそのまま見られるというのも、実に魅力的。もちろん、そんなトレドは、丘ひとつ丸ごとが世界遺産に指定されている。
どの建物でもいいのだが、たとえば、光のキリストのメスキータ(回教寺院)を見てみる。建物の前半分は四角形で、典型的なアラビア様式のイスラム教寺院になっている。その複雑に交差するアーチを支えるのは、しかし西ゴート族の柱の柱だったりする。さらに建物の後ろ半分は半円形を描いていて、ムデハル様式のキリスト教教会になっている。ムデハルというのはキリスト教徒の支配下にいたイスラム教徒のこと。いったいもうなにがなんだか。だいたい良く考えるてみると、「光のキリストのメスキータ(回教寺院)」というネーミングからして、かなりおかしなことになっている。スペインらしい、そんなスペインを象徴するトレドらしい、異文化のごく平和な共存。このように、トレドではひとつの建物に歴史がぎゅっと凝縮されていることが多いのだ。
1492年のスペイン統一と同年にユダヤ人追放が発令されるまで、ここにはユダヤ人も多く住んでいた。トランシト・シナゴーガ(ユダヤ教会)にはセファルディ(中東・アフリカ系のユダヤ人)博物館があり、ユダヤ文化を知る上で貴重な品々が展示されている。長らく工事中だったが、やっと再オープンした。
しかも、当然カテドラルもあるのだけど、なんせトレドのカテドラルはスペイン・カトリックの首座司教座、いわゆる「総本山」みたいな地位になる。それでもって、建物も内装もフランスのゴシックを基調とした豪華絢爛の金ピカピカ。併設の美術館にはエル・グレコやゴヤ、さらにはティッツィアーノやカラバッジョ、ヴァン・ダイクの作品もあり、絵画好きなら一見の価値があるだろう。
また、スペイン統一を成し遂げたカトリック両王の名をつけたサン・フアン・デ・ロス・レジェス教会なんかもあって、イサベル女王の命によって作られたものなのだけど、ゴシック様式をベースにやっぱりムデハル(キリスト教勢力下のイスラム教徒)のエッセンスを加えたイサベリーノ様式になっておりく、建築好きならやはり一見の価値がある。見どころ多くてたーいへん。
まだある。そんな、歴史のままに建物も文化も重畳的に積み重ねてきたトレドの全景を描いた絵として有名なのが、『トレドの展望』(エル・グレコ)。ちなみにエル・グレコとは、スペイン語で「ザ・ギリシャ人」を意味する。エル・グレコの本名は、ドメニコス・テオトコプロス。ギリシャ生まれで、トルコに終われてクレタ島に逃げ、それからヴェネツィアに渡り、スペインへやってきて、死ぬまでトレドに住んだ。
そんなエル・グレコの作品を集めたその名もグレコの家、さらに彼の最高傑作と言われる『オルガス伯の埋葬』がある(というよりそれしかない)サント・トメ教会は、グレコ・ファンなら欠かせない。
そして、そろそろ最後にするが、グレコが描いた『トレドの眺望』のままの町の全景を見たいなら、タクシー飛ばしてトレドの町と向かい合う丘に行くしかない。いくつかレストランやバーがあるほか、パラドールがあって、マドリードを訪れた国賓がよくヘリコプターでひとっ飛びでここに案内される。
なお市内観光では、まるでモンブランケーキのように隘路の坂路がうにゃうにゃと入り交じるトレドではとにかく散々街を歩くことになると思うので、とくに靴など、疲れないものを。また夏の暑さは尋常ではないので(40℃を超えるのはザラ)、昼はゆっくり休養を。ちなみに、なにも遮るもののない大地から吹き上げる冬の烈風はこれまた厳しいので、冬は防寒対策をお忘れなく。
【名物料理】
内陸のトレドは、ジビエ料理が名物。これを、煮る、あるいは焼く。じっくり煮ることが多いかな。男の匂いがプンプンするような料理が中心だと思って、まず間違いないだろう。
いちばん有名なのは、Perdiz「ペルディス」(山うずら)。これをコンフィみたいにしたり、チョコレートのソースで煮たり、マリネ風にしたり。骨が多いから食べるのは大変だけど、鳥の美味さがしみじみとわかる。他にCiervo「シエルボ」(シカ)のソテーや煮込みなど。そしてお土産としても人気のお菓子、Mazapan「マサパン」。アーモンドの粉に砂糖を入れて練ったアラビア伝来のお菓子だ。
ラ・マンチャ地方はオリーブオイルの名産地であり、ワイン(主に赤)の一大産地でもある。羊乳を長期熟成させたQueso Manchego「ケソ・マンチェゴ」(マンチェゴ風チーズ)は世界的な名産品だ。どれも大地の味ね。
飲み物は、地元Valdepen~as「バルデペニャス」の赤ワイン。ケソ・マンチェゴと、とてもよくあう。ケソ・マンチェゴをオリーブオイル漬けにしてもいい。この男臭さがラ・マンチャ、ドン・キホーテの故郷なのだ。
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マサパン